教会用語解説シリーズ(47)「聖徒」せいと


「コリントにある神の教会へ。すなわち、私たちの主イエス・キリストの御名を、至る所で呼び求めているすべての人々とともに、聖徒として召され、キリスト・イエスにあって聖なるものとされた方々へ。」(Tコリント一・2)
 聖書は、旧約でも新約でも、真の神を信じる人を「聖徒」と表現します。(例 申命記三三・3、詩篇一六・3、三四・9、ダニエル八・24、使徒九・13、ローマ一・7、Uコリント一・1、エペソ一・1など。)
 礼拝ごとに告白する使徒信条にも、「聖なる公同の教会、聖徒の交わりを信じる」と明記されています。
 「何十年もの信仰生活を経た人ならいざ知らず、私のような未熟者、失敗の多い者が、聖徒≠ネどおこがましい限りです。とんでもありません。」と反応したくなりますね。
 しかし、問題が山積状態だったあのコリント教会の人々を導くために書かれた手紙は、パウロの心からの感謝と、「聖徒宣言」で始まります。私たちは、主イエスご自身の恵み(受けるに値しない者に一方的に注がれる神の愛顧・恩寵)によって召され、主の貴い血潮によって聖別され続けている者たちであり、またそれぞれ違った段階にある発展途上の聖徒たちの集まりとしての教会です。そんな教会であっても、様々な問題や課題は生じます。その時に、共に聖徒として召されたお互いであることを覚え励まし合い続けましょう。



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