教会用語解説シリーズ(33)「しるしと奇蹟」


「大ぜいの人の群れがイエスにつき従っていた。それはイエスが病人たちになさっていたしるしを見たから」(ヨハネ六・2)。「あなたがたがわたしを捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したから」(ヨハネ六・26)
 主イエスは救い主として地上を歩まれた際に、数多くの奇跡的なみわざを行い、ご自身が確かに神の御子キリストであられ、神としての全能の力を備えておられることを証しされました。それは「しるし」と呼ばれ、新改訳聖書の欄外注を見ると、「証拠としての奇蹟」と解説が加えられています。しかし、主はしるしや奇蹟により頼む信仰は本物ではないことをご存じでした。しるしに頼った人々の心にあったのは結局の所、「信じて欲しければ私たちの望む奇蹟を起こしてみなさい。そうしたら信じますよ」という傲慢で自分勝手な心、神を自分の都合に従って動かそうという罪の心です。主がその人々の要求に応えたり、人気取りのために奇蹟を行われたことは一度もありません。かえって、「預言者ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられない」(マタイ一二・39、40)と語り、人の心を変える唯一の手段としての十字架の道をまっすぐに歩まれました。本物の信仰とは、始めから終わりまで、主イエスの十字架と復活という最大の「しるし」を、真心からの悔い改めと信仰をもって自分自身のこととして受け止める以外にありません。
 今日、私たちの信仰は、どんな信仰でしょうか?



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