教会用語解説シリーズ(29) 「ご宝血」ごほうけつ


 耳慣れない表現ですが、時に比較的ご年配の先生方や兄姉方が、お祈りや会話の中で、或いは手紙や書物の文章中に使うことがあるのを見聞きしたことがあるかも知れません。例えば、「主のご宝血を崇めます」「贖いのご宝血によって・・・」などの表現です。
 言うまでもなく、これは主イエス・キリストが私たちの罪を贖うために注ぎ出して下さった「血」を指しています。茨の冠をかぶせられた御子イエスの額から滴り落ちた血のしずく。何度も鞭で打たれた体中の傷口からにじんだ血。そして十字架の上に釘づけられた御手・御足から、更にはローマ兵の槍で刺し通された脇腹からあふれ出た血潮。これは、主が私たちを救うためにいのちそのものを注ぎだして下さったことを意味します。「肉のいのちは血の中にあるからである。わたしはあなたがたのいのちを祭壇の上で贖うために、これをあなたがたに与えた。いのちとして贖いをするのは血である。」(レビ17・11)とあるとおりです。罪なき神のひとり子が限りない愛のゆえに最後のひとしずくまでも注ぎ出された、聖く貴いいのちの血潮! 正に主イエスの宝血の故に私たちは贖われたのです。
 同時に私たちは、この血の力によって罪赦されきよめられて、「主の宝の民」(申命記14・2)、「主ご自身の宝」(詩篇135・4)と呼ばれる立場に導かれます。神の宝としての存在に造り変える力を持つ主の血潮だから、「宝血」なのです。



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