教会用語解説シリーズ(28) 「敬虔」けいけん


 教会で時折耳にする用語で聖書中に何度も登場しますが、改めて「敬虔とは?」と聞かれても答えに困る言葉かも知れません。
 敬虔ということばを国語辞典で調べると、「特に神仏にきえ帰依(信心)して、うやまいつつしむこと」とあります。他宗教でも使われる用語ですが、クリスチャンにとっては表面的な信仰心や慎み深い生き方以上の意味を持っています。
「キリストは、人としてこの世におられたとき、自分を死から救うことのできる方に向かって、大きな叫び声と涙とをもって祈りと願いをささげ、そしてその敬虔のゆえに聞き入れられました。」(ヘブル五・7)
 すなわち敬虔とは、御子イエス・キリストご自身が生きて示された、父なる神に対する信頼と献身の心と生き方そのものを指します。また、御子を信じることによって神の子とされたクリスチャンが、御父に対して主イエスと同じように生きるよう勧められている心と生き方のことです。外側の形式的な信仰生活に留まらず、或いは絶えず人からの賞賛を期待する見せかけの敬虔ではなく、聖書から決して離れずに真の敬虔「キリストらしさ」を追求し、神に喜んで頂きましょう。
「敬虔のために自分を鍛練しなさい。肉体の鍛練もいくらかは有益ですが、今のいのちと未来のいのちが約束されている敬虔は、すべてに有益です。・・・満ち足りる心を伴う敬虔こそ、大きな利益を受ける道です。」(Tテモテ 四・8、六・6)



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