教会用語解説シリーズ(25) 「神の摂理」かみのせつり


 「摂理」という言葉は、現在は韓国の不道徳な新興宗教の引き起こした事件によって口にするのもはばか憚られる感がありますが、非常に大切な教理の用語です。
 聖書には直接、「摂理」という言葉は登場しませんが、その意味するところは聖書的・正統的なものです。英語ではプロヴィデンスProvidence、元のラテン語のpro(前を)+videre(見る)から来ていて、神は前もって見通して配慮されるという意味です。摂理は、「すべてのものを創造された神が、それらを絶えず保持・統治し、最善へと導くために愛をもって働かれるその働き」と定義できます。
 聖書の中で、神の摂理を語るもっとも美しい物語は、旧約のヨセフの生涯でしょう。兄たちの妬みによってエジプトに奴隷として売られたヨセフが、苦難の末にエジプトの総理大臣となって後、食料を買いに来た兄たちと劇的な再会を果たした際に述べた言葉はこうです。「だから今、私をここに遣わしたのは、あなたがたではなく、実に、神なのです。」(創世記45・8)「あなたがたは、私に悪を計りましたが、神はそれを良いことのための計らいとなさいました。」(創世記50・20)
 新約で摂理を語るみことばとしては、ローマ8章28節が有名です。信仰生涯をたどる中で、時に思いがけない出来事にぶつかることがあるでしょう。しかし、どんな時にも神の愛の摂理が働いていることを信じ、信仰的プラス思考に生きる者でありたいですね。



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